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x/twitterのスレッドからの文章生成について考え直してみる

最近は細々としたスタイルは異なるものの基本的には以下のような仕組みで文章を生成させてみている。成果物はsizu.meの方に挙げている。実験はだいたい以下の手順を踏んでいる。

  1. x/twitterでスレッドの形で思考を連投する
  2. grokからスレッドを読み込ませて意図を捕捉しつつ解釈に合意を得る
  3. (keepからdocs経由で)ai studioに持ち込み自分とaiとの対話の存在を知らない第三者に伝わる文章を生成させる

自分用にはgrokとの対話で満足してしまうところがあるそしてわりと文章を生成させるまでに時間も労力もかかる(これが問題)

記事について

  • article1.md 自分の言葉をそのまま使い出力
  • article2.md 一般的な表現に変換し出力

リンク

🤔 独り、思考の迷宮にて

孤独な生活が長くなると、どうやら私の思考の様式も変容を遂げるらしい。かつては誰かと役割を分担し、あるいは議論の中で特定の立場(ロール1)に身を置いて思考を深められたものが、今や脳内で全てを完結させようとしてしまう。例えば、ある事柄について考えるとき、本来なら外部の誰かと行うようなディベート2的な思考実験――賛成と反対、それぞれの論拠を突き詰める作業――すら、脳内で一人二役、いや、全方位的に展開しようとするのだ。まるで、一つの舞台で全ての役を一人で演じ分けようとする無謀な役者のように。当然、これは脳という限られた舞台(リソース)に過大な負荷を強いることになる。

📉 脳内分裂と探索能力の矮小化

この「一人全役」状態は、どこか痛ましい響きを持つ。かつてファンタジーとして語られた解離性人格障害3のイメージとは異なり、現実のそれは、一つの脳が無理に分割された結果、本来の能力に満たない「一人未満」の低出力な存在が複数、記憶の同期も阻害されながら存在している状態に近いのではないか、と私は思う。つまり、役割を分担したつもりが、実は総体としての思考能力を劣化させているのだ。結果、思考の「探索4」は浅くなり、到達できる深さが著しく制限される。見渡せるはずの視野も狭まり、複雑な問題の核心に迫ることが困難になる。思考の「品質」が低下する、というのは、この探索能力の矮小化がもたらす必然的な帰結なのだ。

✨ 狭い迷宮での刹那の閃光

だが、この能力低下した状態が、常に無価値というわけでもないらしい。ごく稀に、まるで奇跡のように、上手く機能することがある。それは、過去の経験や知識(キャッシュ5が効く状態)がうまく作用し、かつ考えるべき範囲(探索空間6)が極めて狭い場合だ。その限定された空間内であれば、たとえ低出力な状態であっても、全ての可能性をしらみつぶしに調べる(フルスキャン7する)ことが可能になる。それは、知識が少ない子供が、特定のクイズ(例えば、選択肢が少なく全探索が有効なもの)において、知識が豊富な大人よりも早く正解にたどり着くことがあるのに似ている。大人は広大な知識の森で迷いがちだが、子供は狭い迷宮を素早く駆け抜けられる。思考の「深さ」ではなく、「速さ(低レイテンシー)」が勝る瞬間だ。だが、これはあくまで例外的な閃光に過ぎない。

💡 世間の効率、役割への帰依

翻って、「まともな人々」――つまり、この社会でうまく思考を回し、淀みなく日常をこなしているように見える人々――は、どうしているのだろうか。彼らは、思考のエネルギー配分を巧みに使い分けているように思える。難しい問題には集中して深く考える「高コストなモデル8」を、日常的な判断には軽く流す「省コストなモデル8」を、状況に応じて切り替えているのではないか。まるで、AIがタスクに応じて最適な計算資源を選択するように。それだけではない。彼らは、特定の状況において、自分が担うべき「一つの役割」を明確に認識し、その役割に徹することができる。私のように、脳内で複数の役割を同時に演じようとして混乱することが少ないのだ。だからこそ、応答が遅れたり、物事を億劫に感じたりすることが少なく、スムーズに世界と関われているのだろう。

🔄 独りの城の、ささやかな利点?

ここまで、一人で思考を抱え込むことの非効率さ、探索能力の限界を語ってきた。だが、少し視点を変えれば、独りで完結することの利点もないわけではない。これは、いわば感想戦のようなものだが。ソフトウェア開発で語られる、マイクロサービス9(機能ごとに細かく分ける)とモジュラーモノリス10(一つの大きな枠内で整理する)の対比。あるいはAIの世界での、マルチエージェント11(複数のAIが協調する)と巨大な単一推論モデル+ツール(MCP12)の対比。これらのアナロジーを借りるなら、「一人でやる(=モノリスやMCP)」方が、「コンテキストの共有13」――つまり、思考の前提や背景情報――の伝達は容易であり、思考プロセス全体の「管理」もシンプルになる。役割分担に伴う調整や連携のコストが発生しない分、「省コスト」と言える側面もあるのだ。

🥀 諦観の縁にて

しかし、結局のところ、この思考の旅路は、私自身が「まともな人々」のようには思考の舵を取れていない、という自己認識へと回帰する。彼らのように思考のモードを巧みに切り替え、状況に応じた適切な深さで探索し、一つの役割に迷いなく徹することが、私には難しい。脳内で延々と多役を演じ続け、リソースを浪費し、浅い探索に終始してしまう。あるいは、稀な幸運に頼るしかない。この文章を綴っていること自体が、その諦観の現れなのかもしれない。私は、この独りの思考の迷宮から、容易には抜け出せないのだろう。

Footnotes

  1. ロール:役割、立場のこと。

  2. ディベート:ここでは実際の討論ではなく、賛成・反対など対立する視点を立てて思考を深めるプロセスのアナロジー。

  3. 解離性人格障害(解離性同一性障害, DID):複数の明確な人格状態が存在する精神疾患。ここでは、脳のリソース分割による能力低下のアナロジーとして言及。

  4. 探索:問題解決や思考において、可能性や選択肢を探るプロセス。

  5. キャッシュ:コンピューター用語で、一度読み込んだデータを一時的に保存し、再利用する仕組み。ここでは過去の経験や知識の蓄積を指す。

  6. 探索空間:思考や問題解決において、考慮すべき全ての可能性や選択肢の範囲。

  7. フルスキャン:コンピューター用語で、対象範囲の全てを網羅的に調査すること。ここでは、可能性をしらみつぶしに検討するアプローチ。

  8. 高コスト/省コストモデル:AI(特にLLM)の文脈で、計算資源を多く消費する高性能モデルと、資源消費を抑えた軽量モデルの使い分けを指す。ここでは、思考の集中度やエネルギー消費のアナロジー。 2

  9. マイクロサービス:ソフトウェアを小さな独立したサービスの集合体として構築する手法。連携が複雑になることがある。

  10. モジュラーモノリス:一つの大きなソフトウェア内で、機能ごとにモジュール(部品)を整理・分割する手法。マイクロサービスよりシンプル。

  11. マルチエージェント:複数の自律的なAI(エージェント)が協調して問題を解決するシステム。調整コストがかかる。

  12. MCP (Model, Controller, Prompting):巨大な単一AIモデルが、ツールなどを利用しながらタスクを実行するアプローチのイメージか。ここでは一元化された処理系のアナロジー。

  13. コンテキストの共有:思考やコミュニケーションにおいて、前提となる情報や背景知識を共有すること。

🤔 孤独が変える、思考の景色

長いこと独りで過ごしていると、どうやら考え方の癖まで変わってしまうらしい。以前は、誰かと話したり、あるいは本を読んだりする中で、自然と「賛成する立場」「反対する立場」といった特定の役割に身を置き、その視点から物事を深く掘り下げることができていた。だが今は違う。何かを考え始めると、その賛成意見も反対意見も、あらゆる角度からの視点も、全部自分の頭の中だけでやろうとしてしまうのだ。まるで一人で討論会を開き、全ての参加者の役を演じようとするかのように。これは、頭の中という限られた舞台で、あまりにも多くの役を同時に演じようとする試みであり、思考のエネルギーを無駄に消耗させてしまう。

📉 脳の力を分散させる罠

この「頭の中で全部やる」状態は、どうも思考の力を弱めてしまうようだ。かつて多重人格と呼ばれた心の状態について、現実には、脳の力が無理に分けられることで、本来一人の人間が持つはずの力に満たない、いわば「半人前」のような状態が複数生まれてしまうことに近い、という話を聞いたことがある。それと似て、頭の中で多くの役割を同時に演じようとすると、一つ一つの思考に割けるエネルギーが減り、結果的に全体の思考力が落ちてしまうのではないか。深く考えるための「探求力」が鈍り、問題の本質に迫れなくなる。広く物事を見渡す力も弱まり、考えが浅く、狭い範囲に留まってしまう。思考の「質が落ちる」と感じるのは、この探求力が低下しているからなのだ。

✨ 狭い道での、束の間の速さ

ただ、不思議なことに、この力が弱まった状態でも、ごくまれに上手くいく瞬間がある。それは、過去の経験や知識がすぐに役立つ状況で、かつ考えるべき範囲が非常に狭い場合に限られる。その狭い道の中ならば、力が弱まっていても、全ての可能性をしらみつぶしに調べ上げることができるのだ。これは、知識の少ない子供が、答えの選択肢が限られているような特定のクイズで、かえって大人より早く正解を見つけることがあるのに似ている。大人は多くの知識を持っているがゆえに、迷い、考えるのに時間がかかることがある。一方、子供は知っている範囲が狭いからこそ、その中を素早く調べ尽くせる。これは思考の「深さ」ではなく、一時的な「速さ」がもたらす結果だ。しかし、これは本当に稀な、幸運な瞬間に過ぎない。

💡 世間の人々が見せる、思考の巧みさ

では、世の中の多くの人々――私が「まとも」と呼ぶ、スムーズに物事をこなし、淀みなく生きているように見える人々――は、どうやって思考を操っているのだろう。彼らはきっと、無意識のうちに思考のエネルギー配分を調整しているのだろう。じっくり考えるべき課題には、集中力を高めて深く思考するモード(高コストモード)を。さっと判断すれば良いことには、エネルギーを節約する軽い思考モード(省コストモード)を、巧みに切り替えているに違いない。まるで、コンピューターが作業内容に合わせて性能を調整するように。そして、もう一つ重要なのは、彼らは特定の場面で「自分は今、この役割を担っている」と明確に意識し、その役割に集中できることだ。私のように、頭の中で複数の役を同時に演じようとして混乱することが少ない。だからこそ、彼らは考えがまとまらずに反応が遅れたり、物事を始める前から気が重くなったりすることが少なく、軽やかに日常を送れているのだろう。

🔄 独りで考えることの、ささやかな言い訳?

ここまで、一人で考えを抱え込むことの難しさ、思考の探求力が鈍ることを語ってきた。だが、少し立ち止まって考えてみると、独りで完結させることの良さも、全くないわけではない。これは後からの言い訳めいたものかもしれないが。例えば、コンピューターシステムの作り方で、機能を細かく分けて作る方法(マイクロサービスと呼ばれる)と、一つの大きな枠組みの中で整理する方法(モジュラーモノリスと呼ばれる)がある。前者は柔軟だが連携が複雑になりがちで、後者はシンプルだ。また、AIの世界でも、複数のAIが協力し合う方法(マルチエージェント)と、一つの強力なAIが全てをこなす方法がある。これも、前者は高度なことができるが調整が大変で、後者は管理が楽だ。これらの例えを借りるなら、「一人で考える」のは、後者のシンプルな方法に近い。思考の前提となる情報(コンテキスト)を誰かと共有する必要がなく、頭の中でスムーズに繋がる。思考プロセス全体を管理する手間も少ない。役割分担に伴うコミュニケーションや調整の手間がない分、「楽」で「エネルギーを節約できる」面もあるのかもしれない。

🥀 迷宮の住人として

しかし、結局のところ、こんな風にあれこれ考えてみても、行き着くのは「自分は、世間の人々のように巧みに思考を操れてはいない」という、一種の諦めに似た感情だ。彼らのように思考のモードを切り替え、適切な深さで物事を探求し、迷いなく一つの役割に集中することが、私にはどうにも難しい。頭の中で終わらない一人芝居を続け、エネルギーを空費し、浅い思考の海を漂っている。ごくまれに訪れる幸運な閃きに期待するしかない。今、こうして言葉を紡いでいること自体が、そのどうしようもなさ、迷宮の住人であることの告白なのかもしれない。この独りの思考の迷宮から抜け出す道は、まだ見えない。

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podhmo commented Apr 18, 2025

脚注ミスってる部分があるのは仕方がないか。特に後半。

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